ドーピングについて




この記事は僕の個人的な意見です。誰かに考えを強要しようとするものではありません。

スポーツ界ではドーピングが後を絶ちません。有名選手がドーピング問題を起こすと、ワイドショーはこぞって取り上げ、コメンテーターは楽して勝とうとしているだの、心が弱いからだのと批判します。そして、違反を犯した選手を完全な悪者に仕立て上げられます。違反した選手はルールを犯しているので悪いのには違いないですし、ペナルティとして出場停止処分などを受けるのは当然であるとは思います。しかし、テレビで報道される内容にはどうも違和感を感じます。繰り返しますがドーピングをすることは悪いことであるし、どんな理由があろうと許されることはないです。しかし、ドーピングをした選手は本当に楽して勝ちたかったのでしょうか。心が弱かったのでしょうか。僕なりに思うところがあるので、書き記したいと思います。

ドーピングはなぜいけないのか?

wikipediaによるとドーピングは以下のようなものをいいます。

ドーピング(英: doping)は、スポーツおよびモータースポーツの競技で運動能力を向上させるために、薬物を使用したり物理的方法を採ること、及びそれらを隠ぺいしたりする行為。オリンピック、競馬など多くの競技で禁止され、違反行為となる。俗称であるが、「競技会時検査」の事をドーピングと呼ぶ場合(例:あの競技会ではドーピングがある)も有る。
「ドーピング」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より

世間一般のイメージ通りだと思います。

では、なぜドーピングはいけないのでしょうか。

その理由はNPBのアンチ・ドーピングガイド2017に簡潔に書いてありました。

1.選手の健康を害する
2.アンフェアである
3.社会に悪影響を与える
4.スポーツそのものをだめにする
「NPBアンチ・ドーピングガイド2017」『NPBホームページ』より

1つずつ詳しく見ていきたいと思います。

選手の健康を害する

禁止薬物には様々な種類があります。具体的に興味がある方は日本薬剤師協会が、アンチドーピングハンドブックを発刊していますので、参照してみてください。
アンチドーピングハンドブック

さて、禁止薬物によっては重大な健康被害を与えるものがあります。例えば、肝臓癌を誘発するものや、女性が使用すると男性化してしまうものなどもあります。禁止薬物の中には麻薬なども含まれています。これらが体に悪影響を及ぼすのは言わずもがなです。

アンフェアである

日本におけるドーピングの認識はこれが大きいのではないでしょうか。筋肉増強剤などを使用することで、通常のトレーニングでは得られない競技力の向上が望めます。これはスポーツの根源であるフェア精神に反します。

社会に悪影響を与える

スポーツ選手はメディアに触れる機会が多く、社会に与える影響は絶大です。特に子供達に与える影響は大きく、将来なりたい職業ランキングには常に何かしらのスポーツ選手が入ってきます。そんなスポーツ選手が薬物に手を出せば社会に悪影響を与えます。スポーツ選手は否が応でも社会の規範となることが求めらます。

スポーツそのものをダメにする

ドーピングを認めてしまえば、ドーピングをしなければ勝てない世界となってしまいます。誰もが薬物に手を染めるスポーツ界に未来がないことは、誰が考えても明らかです。

なぜ、ドーピングに手を染めてしまうのか?

さて、ここからがこの記事の本題です。なぜ、トップアスリート達がドーピングに手を出してしまうのでしょうか。アスリートですから、ドーピングがダメなことは百も承知なはずです。最近では教育もしっかりされています。それでも手を出してしまうのは、楽して勝ちたいとか単に心が弱いとか、そんな簡単な言葉では片付けられない心情があるのだと思います。僕は学生時代、陸上競技の長距離種目をそこそこ真面目に取り組んでいました。スポーツというのは努力というものが非常に大切ではあるのですが、それ以上に才能がものを言う面もあります。こう言うと批判を受けるかもしれませんが、これは事実です。たとえ同じ練習をしたとしても、全員が同じように伸びるわけではありません。才能がある人は伸びるのが早いし、そうでない人はなかなか伸びなかったりします。僕は才能がある選手ではなかったので、人一倍努力する必要がありました。それこそ、もうこれ以上動けないというような練習や、途中でガス欠になり倒れるような練習もしました。それでも、才能のある選手には勝つことは難しかったです。本当に才能がある選手は、1週間ちょろっと練習するだけで、あっさり僕のタイムを超えていったりしました。そんな時は、こんなに努力しているのに何で勝てないのかという悔しさと共に、どう頑張っても勝てないんだという諦めや虚しさの気持ちがこみ上げてきました。そこで、ふと思ったことがあります。こういう時にドーピングに手を出すのだと。学生ですら相当に厳しい練習をします。世界のトップアスリートにもなれば、それこそ血反吐を吐くくらいの練習をしているはずです。おそらく、皆が「俺が世界一の練習をしている」と思っていると思います。そして、それはきっと正しいです。それでも、上には上がいるのです。文字通り死ぬ気で練習して、命を賭けて競技に打ち込んでも勝てない。そんな時の選手の心情を皆さん理解できますか?僕は何となく、ドーピングに手を出してしまう理由がわかる気がします。
少し話は変わりますが、昨今の企業によるデータ改ざん問題の際に、ある経済学者の方がコメントしていたのですが、「不正は無理が生じた時に起こる」のだそうです。これはスポーツにも当てはまると思います。ドーピングという不正も、努力に無理が生じた時に起こります。スポーツの競技力に努力が必要ないのであれば、ドーピングは起こりません。
繰り返しますが、決してドーピングを肯定するわけではありません。ただ、ドーピングをした選手の心情をもう少し理解しようとしてもいいのではないかと思います。命を賭けて厳しい練習をする選手達の心が弱いとは僕は思えません。確かに、ドーピングに手を出していない選手の方が多く、そういう選手と比較してしまえば弱いと言われても仕方がないのかもしれません。ただ、そういう選手も誰がいつドーピングに手を出してもおかしくはないと僕は思います。そういうギリギリのところで選手達はしのぎを削っているのです。ドーピングをなくすためにも、まずそういった選手の気持ちをきちんと理解することが必要だと思います。

もちろん、上記で述べたような選手が全てではないです。例えば、貧困から抜け出すために、ドーピングに手を出して競技力を向上させたり、国の威信のために組織的にドーピングが行われたりした事例もあります。組織的に行われるのは言語道断ですが、ドーピングを行う背景には必ず理由が存在します。それを理解し解決することが今後のスポーツ界、スポーツ選手のためには必要だと思います。








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